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最高裁判所第一小法廷 昭和53年(あ)1654号 判決 1980年2月07日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人城下利雄の上告趣意第一点は、本件第一、二審の審理手続は著しく遅延しており、憲法三七条一項の迅速な裁判の保障条項に違反するにもかかわらず、原判決が被告人に対して免訴の言渡しをしなかつたのは、憲法三七条一項に違反する、というのである。

そこで、本件の審理経過を記録によつてみると、被告人は、行政書士及び司法書士の資格を有するものであるが、ほか一名と共謀のうえ他人名義の土地の贈与証書を偽造したとの有印私文書偽造の罪により昭和二八年九月一九日起訴されたのをはじめ、同年一〇月二九日までの間に、ほか二名と共謀のうえ第三者所有の建物を横領したとの横領の罪(後に背任に訴因変更)並びに詐欺、恐喝の各罪につき、順次追起訴されたこと、第一審の京都地方裁判所峯山支部は、まもなく被告人が病気(肺結核)により公判に出頭することができなくなつたため、本件につき一時公判手続を停止するなどしたうえ、横領の共犯者二名の事件を分離して審理し、有罪判決を言い渡したところ、右両名はこれを不服として上訴したこと、右両名に対する事件については、同三二年一一月一九日大阪高等裁判所において、原判決を破棄し、控訴審で変更された背任の訴因その他につき有罪とする判決があり、右結論は最高裁判所においても維持されたこと、他方、京都地方裁判所峯山支部は、被告人の病状の回復を待つて同三一年七月一三日の公判から実質審理を再開したが、未だ検察官の立証段階である同三二年五月二一日の公判以降、検察官の「控訴中の関連事件(横領の共犯者の事件)の審理を待つため延期されたい。」旨の申出を容れて審理を中断したこと、同支部は、横領の共犯者の事件記録が上級審から返還されるのを待つて、同三七年六月二日本件の審理を再開し、横領の訴因につき背任への訴因変更手続を経るなどしたうえ、同四三年五月九日被告人に対し、有印私文書偽造、背任、恐喝につき有罪(懲役二年、執行猶予三年)、詐欺につき無罪の判決を言い渡したところ、右有罪部分につき被告人が控訴を申し立てたこと、原裁判所(大阪高等裁判所第三刑事部)は、被告人又は弁護人の病気を理由とする弁護人の申立を容れて公判期日の変更をくり返すなどした末、同五三年七月二四日控訴棄却の判決を言い渡したこと、以上の各事実が明らかである。右の経過によると、本件については、さして複雑とも思われない前記四ないし三個の訴因からなる事件の審理に、第一、二審において合計約二五年の長年月を費しているほか、とくに第一審においては、検察官の申出により約五年間審理が中断されたことがあるなど、憲法三七条一項の、迅速裁判の保障条項との関係上問題と思われる点のあることは、否定することができない。

しかしながら、具体的事件における審理の遅延が憲法の迅速裁判の保障条項に反する事態に至つているか否かは、遅延の期間中のみによつて一律に判断されるべきでなく、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむをえないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど諸般の情況を総合的に判断して決せられなければならないことは、すでに当裁判所の判例(昭和四五年(あ)第一七〇〇号同四七年一二月二〇日大法廷判決・刑集二六巻一〇号六三一頁)の示すところである。このような見地にたつて本件をみると、まず、本件第一、二審の約二五年の審理期間のうち、第一審における当初の約三年は、被告人の病気を理由とするやむをえないものであり、控訴審における約一〇年も、おおむねこれと同様であつたと認められる。つぎに、第一審における審理期間のうち被告人の病気が回復した後の約一二年についてみると、右のうち、検察官の申出により審理が中断した約五年を除くその余の期間中は、さほど顕著な審理の中断もなく実質審理が継続されていたものであるうえ、右約五年の審理中断期間についても、検察官がその後、右中断中に示された共犯者の事件に関する上級審の判断に従つて訴因の変更をしたり、上級審における証人尋問調書を書証として提出するなど、関連事件の審理の結果を本件の審理に反映させていることからみて、右の期間が本件の審理にとつて全く無意味に経過したものとは断じ難い。以上の諸点のほか、被告人の第一、二審における弁護人は、横領の共犯者の弁護人としてその上級審の公訴においては、同事件の証人に対し反対尋問権を行使しており、しかも、右証人尋問調書は本件の公判にも顕出されているので、右審理中断によつて被告人が防禦上重大な不利益を受けたことは認め難いこと、他方、本件第一、二審の全審理期間を通じ、被告人側から訴訟の促進について格別の申出等もされた形跡がないことなどの事情を総合勘案すれば、本件第一、二審とくに第一審における訴訟の進め方にはなお批判を免れない点が少なくないとはいえ、その審理の遅延の結果、前記大法廷判決において示されたほど異常な事態を生じているとまではいえないから、本件につき、この段階で審理を打ち切るのは適当でなく、結局、所論違憲の主張は理由がないことに帰着する。

同第二点、第四点は、単なる法令違反の主張であり、同第三点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

被告人本人の上告趣意のうち、被告人の検察官調書の任意性がないとする点は、記録を調査しても所論供述調書の任意性を疑わせる証跡は認められないから、所論は前提を欠き、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

よつて、刑訴法四〇八条、一八一条但書により、主文のとおり判決する。

この判決は、弁護人城下利雄の上告趣意第一点について、裁判官団藤重光、同戸田弘の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官団藤重光の弁護人城下利雄の上告趣意第一点に関する反対意見は、次のとおりである。

一 本件の審理経過は多数意見の説示するとおりであり、さして複雑ともおもわれない事案の審理に一・二審において合計約二五年もの長年月が費されているのであつて、私見によれば、これは、まさしく、高田事件の大法廷判決(最高裁昭和四七年一二月二〇日大法廷判決・刑集二六巻一〇号六三一頁)のいわゆる「異常な事態」である。

もちろん、審理の遅延が憲法三七条一項の迅速裁判の保障条項に反する事態にいたつているかどうかは、遅延の期間だけによつて一律に判断されるべきではなく、遅延の原因などを勘案して、その遅延がやむをえないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど、諸般の情況を総合的に判断して決せられなければならないことは、前記大法廷判決の判示するところであり、わたくしもそのとおりであるとおもう。

しかし、一・二審の全審理期間が、高田事件においてさえ約一八年であつたのに対し、本件では約二五年におよぶのであつて、まず、このことじたいが異常である。しかも高田事件では被告人が十数名にものぼり事案も爆発物取締罰則違反、現住建物等放火等の複雑なものであつたのに対し、本件では被告人が一名、事案も私文書偽造、横領(背任)、恐喝という比較的簡単なものであつた。公訴時効の期間をみても、前者では一五年であるのに対して、後者では七年である。本件で一・二審の審理にかような長年月が費されたことは、別によほど積極的な理由が見出だされないかぎり、とうてい是認することができないのである。

そこで、はたして、それだけの理由があつたかどうかを、具体的に本件の審理の過程について検討してみよう。

多数意見によれば、右約二五年の審理期間のうち第一審における当初の約三年は被告人の病気を理由とするやむをえないものであり、控訴審における約一〇年も、おおむねこれと同様であつたと認められる。しかし、第一審における審理期間のうち被告人の病気が恢復したのち約一二年間は、どうであつたか。そのうちの約五年間は、横領(背任)の共犯者の事件が上訴中であつて、その審理を待つて進行されたい旨の検察官による延期の申請を容れたための中断であつて、これは高田事件において別件関連事件の審理を優先されたい旨の弁護人側の申出を容れたために審理の中断があつたのと明白な対照をなすものである。もちろん、検察官のこの申出がかならずしも不当なものであつたとは考えられないのであり、現に検察官は、その後、右中断中に示された共犯者の事件に関する上級審の判断にしたがつて訴因の変更をしたり(ただし、その訴因変更請求がされたのは昭和三八年三月一三日の第二五回公判期日においてであるが、共犯者の別件について上級審で横領から背任に訴因変更があつて背任罪につき有罪判決があつたのはそれよりもはるかに早く昭和三二年一一月一九日であつた。)、右上級審における証人尋問調書を書証として提出するなど(ただし、これらの調書が提出されたのは本件の証人尋問が一応終了したのちのことであり、しかも第一審判決には証拠として採用されなかつた。)、関連事件の審理の結果を本件の審理に反映させていることは、多数意見の説示するとおりである。横領罪の訴因だけの関係とはいえ、共犯者相互間に取扱いの不公平、不統一が生じることは極力避けるべきであるのはいうまでもないが、そのために五年もの期間を無為にすごすことがはたして是認されうるであろうか。もし、これが是認されうるものとしても、そのかわり、その後は積極的に審理の促進がはかられるべきであつた。ところが、多数意見もいうとおり、その余の期間中は、単に「さほど顕著な審理の中断もなく実質審理が継続されていた」というにすぎないのである(実際にはこの期間中にも一年前後の審理中断が二回もあつたことがうかがわれる。)。多数意見は、これらのことから、「右の期間が本件の審理にとつて全く無意味に経過したものとは断じ難い」というのであるが、このような消極的なことでは、第一審で被告人の病気恢復後さらに約一二年を費したという異常事態を正当化する理由とはとうていなりえないものといわなければならない。現に、多数意見も、「憲法三七条一項の迅速裁判の保障条項との関係上問題と思われる点のあることは、否定することができない」といい、また、「本件の第一、二審とくに第一審における訴訟の進め方にはなお批判を免れない点が少なくない」といつて、重大な警告を発していることを、とくに留意する必要がある。

多数意見は、審理中断によつて被告人が防禦上重大な不利益を受けたとはみとめがたいとしているが、証人の記憶の稀薄化は記録上容易に看取されるのであり、それが被告人にとつて不利益にはたらいていることは否定することができないとおもわれる。また、多数意見は、被告人側から訴訟促進の申出がなかつたことを挙げるが、わたくしが、かつて、別件(最高裁昭和五〇年八月六日第一小法廷判決・刑集二九巻七号三九三頁)における反対意見の中で述べたとおり、「無罪判決が確実に予測されるような事案でもないかぎり、被告人側に積極的な審理促進を期待することは無理であり、これを理由として、迅速な裁判を受ける権利の保障を拒否するとなれば、それは、憲法がこの権利を保障している趣旨を没却することになるであろう」(前掲刑集四〇三頁)。高田事件大法廷判決も「少なくとも検察官の立証がおわるまでの間は訴訟進行の措置が採られなかつた場合において、被告人側が積極的に期日指定の申立をするなど審理を促す挙に出なかつたとしても、その一事をもつて、被告人が迅速な裁判を受ける権利を放棄したと推定することは許されない」としていることを忘れてはならない。本件の第一審における四回の中断は、いずれも検察官の立証段階におけるものであつたことをつけ加えておこう。

なお、高田事件と本件との比較にあたつては、前者では第一審が免訴の判決、第二審が破棄差戻の判決であつて有罪判決のないまま事件が上告審に来たのに対し、後者では第一審、第二審とも有罪判決であつたことが、重要な相違点として考慮されなければならないであろう。すなわち、高田事件では、上告審で手続を打ち切らなければ、さらに審理のために相当期間が必要となるばかりか、それによつてかならずしも真実の発見が期待されえないという事態にあつたのに対して、本件ではそのようなことはないのである。しかし、まず、期間の点についていえば、前記のとおり一・二審の全審理期間が高田事件の約一八年に対して本件でははるかに長く約二五年にも及んでいるのであり、しかも公訴時効の期間が高田事件の一五年に対して本件ではわずか七年であることを考えあわせれば、右の差異は決して決定的なものとはいえないのである。また、高田事件では実体形成がされていなかつたのに対し、本件では実体形成がほぼ完了しているので、いまさら形式的裁判によつて手続を打ち切るのは不相当のようにみえるかも知れない。しかし、本件におけるようにいちじるしく不当な訴訟の遅延がみられるばあいには、被告人本人の迅速裁判を受ける権利を保障するためだけでなく、裁判実務一般に対する警告の意味においても、手続の打切りはやむをえない措置であるといわなければならない。

二 以上に述べたように、わたくしは本件は高田事件大法廷判決のいう「迅速な裁判の保障条項によつて憲法がまもろうとしている被告人の諸利益が著しく害せられると認められる異常な事態が生ずるに至つた場合」に該当するものと考えるのである。したがつて、原判決を破棄して免訴の判決を言い渡すのが相当であると考える。

なお、この点については、さらに補説が必要である。もともと私見によれば、不当な訴訟の遅延によつて迅速な裁判を受ける被告人の基本的権利が害されるにいたつたときは、当の手続において訴訟の追行が許されなくなるだけでなく、およそその事件に関するかぎり再訴が許されなくなり、わたくしのいわゆる実体的訴訟条件が欠けるものとして免訴の判決で手続が打ち切られるべきことになるのである(団藤・新刑事訴訟法綱要・七訂版・一五九頁、三〇〇頁参照)。

ただ、高田事件大法廷判決の判例を変更してその妥当範囲をさらに拡張することは、さしあたり無理である。そこで、わたくしは、高田事件と同じ範疇に属する事案についてはもちろん免訴説を採るとともに、右大法廷判決のいう「異常な事態」にまではいたらなくても、いちじるしく不当な訴訟遅延があつたばあいには、すくなくとも当の手続に関するかぎりにおいて公訴の提起が後発的に無効になつたものとして、刑訴法三三八条四号によつて公訴棄却の判決を言い渡すべきものとし、これによつて憲法の迅速裁判保障条項のはたらく範囲をすこしでも拡大しようと考えた。これが前記第一小法廷判決におけるわたくしの反対意見の立場である。したがつて、本件において、かりに百歩をゆずつて、本件が高田事件大法廷判決における程度の「異常な事態」に達していないとしても、わたくしは、右の見地から、すくなくとも公訴棄却の判決をもつて手続が打ち切られるべきものと考えるのである。

裁判官戸田弘の弁護人城下利雄の上告趣意第一点に関する反対意見は、次のとおりである。

私も、本件第一、二審の審理手続は著しく遅延しており、すでに審理の打切りを相当とする事態に立ち至つているものと考える。

本件の審理経過のあらましは、多数意見中に述べられているとおりであるが、記録によつてもう少し細かく検討すると、昭和二八年一〇月二九日被告人に対する追起訴が完了してから同四三年五月九日第一審判決があるまで、約一四年六月に及ぶ第一審の審理期間中、実質審理が行われたのはわずかにおよそ四年に過ぎず、一年程度以上実質審理がされないで審理が中断したことが、合計四回ある。第一回は同二八年一一月から同三一年七月にわたる約二年八月、第二回は同三二年五月から同三七年六月にわたる約五年一月、第三回は同三八年七月から同三九年六月にわたる約一一月、第四回は同四〇年九月から同四二年五月にわたる約一年八月である。第一回の中断の原因は被告人の病気であるが。第二回の中断は、多数意見にあるとおり、検察官から控訴中の関連事件の審理を待つためということで延期の申請があつたことによる。第三回の中断は被告人のけが及び検察官の合同出席を理由とし、第四回の中断の事由は記録上明らかでない。そして、同四三年七月二五日弁護人の控訴趣意書が提出されてから同五三年七月二四日原審判決があるまでの約一〇年に及ぶ控訴審の審理期間中では、一年以上期日が中断したことが二度ある。第一回は同四四年一一月から同四六年一〇月にわたる約一年一一月、第二回は同四六年一〇月から同五一年一一月にわたる約五年一月であり、中断の事由はどちらも被告人の病気のためということになつている。

けつして特別に複雑、困難な事案であるとはいえない本件の審理に、第一、二審を通じて合計二五年に近い驚くべき長年月を要し、しかもその間実質審理があつたのはわずかの期間にとどまるということの背後には、前記の経過が示すとおり、被告人の病気という事情のあつたことは事実である。しかし、被告人の病気のため手続の中断が真にやむをえなかつたものと記録上認められる期間はそれほど長いものではなく、本件の審理は、一口にいえば、被告人が病身であるという事情に不当によりかかつて、全体としてあまりにも緩慢に行われたものと見られるのである(原審裁判所は別として、本件第一審の裁判所はけつして多忙といえる裁判所ではない。)。特に、第一審の審理期間中の第二回ないし第四回の中断については、それがやむをえない事由によるものであつたとは到底いえないと思われる。第二回の中断は、前記のように控訴中の関連事件、すなわち横領の訴因に関する共犯者の事件の審理を待つためというのであるが、他の三つの訴因については審理を中断すべき事由がまつたくないばかりでなく、横領の訴因を審理するについても関連事件の進行をそれほどの長期間待つことが妥当であつたとは認められない。第三回の中断については、被告人のけがという事情もあるが、それは一年近い中断の理由にはならない。第四回の中断は、理由すら不明である。このような第二回ないし第四回の中断は、いずれも検察側立証段階におけるものであつて、その期間は合計約七年八月に及び、本件各公訴事実についての公訴時効期間が五年ないし七年であることを考えても、この中断は重視を免れぬ長さであるといわなければならない。

右のように、本件の審理手続は著しく遅延し、起訴時五七歳であつた被告人が、第一審判決時に七二歳、第二審判決時にはついに八二歳になつていたということは、長い時の経過をあからさまに物語つている。この遅延は極めて異常であつて、第一、二審を通じ審理手続が全体として不当に緩慢に行われ、特に第一審の検察側立証段階において被告人側の真に帰すべき事由によらないで前記のような長期間に及ぶ不当な審理中断があつたという事実により、憲法三七条一項の迅速な裁判の保障条項に反する事態が生じ、すでに訴追の正当な利益が失われ、審理の打切りを相当とするに至つていると考えられるのである。(審理手続が全体として見て不当に緩慢であつたとはいつても、昭和四二年五月第一審裁判所が、同五一年一一月控訴審裁判所が、それぞれ判決をした裁判所の構成になつてからは、いずれも特に手続に問題はなく、むしろ審理を進めるための努力の跡が見られることを付記しておきたい。)

裁判がともすれば遅くなりがちなものであることは、歴史が教え、諸国の経験が示す明らかな事実である。適正な裁判を迅速に実現するためには、すべての訴訟関係者の努力が必要であるが、手続を主宰する裁判所がその究極の責任を負うことは当然である。憲法は迅速な裁判を被告人の権利という立場から規定しているけれども、迅速な裁判、つまり遅くならない裁判は、社会生活、国民生活が存続、発展するための基本的な要件であるといわなければならない。手続が遅延したために被告事件の審理を打ち切つてしまうということは、いかにも踏み切りにくい措置のように思えるかも知れないが、異常な遅延の事態が生じた場合には、思い切つて打切りの措置をとることによつて、当該事件の結末は不本意なものとなつても、将来の事件一般に関して裁判関係者の気持を引き締め、無数の事件について遅くならない裁判を現実のものとするために実際に役立つことになるのである。

以上の次第で、本件は審理の打切りを相当とする事態に立ち至つているというべきであるが、その打切りの形式としては、免訴の判決によるのではなく、公訴棄却の判決によるのが本来であると考えている。なぜなら、刑訴法三三七条は免訴の事由を特に限定して掲げているものと見るべきであるのに対し、同法三三八条四号は、単に形式的な手続違背の場合だけではなく、公訴提起の際に実質的な理由で訴追の正当な利益が存在しない場合または公訴提起の後に実質的な理由で訴追の正当な利益が失われるに至つた場合、すなわち公訴の実質的な適法要件が最初から存在せずまたは事後的に失われた場合をもひろく包含する規定であると解すべきであり、そのように解釈しておくことによつて、公訴の提起とその存続に関して起ることのありうる種々の特別な事態(本件のような事態もその一つである。)に対し現行法上適当な解決の方法を与えることができると思うからである。

したがつて、本件については、原判決、及び第一審判決中有罪部分を破棄し、右部分に関し本件公訴を棄却する趣旨の判決をすべきものと考えるのである。

(藤崎萬里 団藤重光 本山亨 戸田弘 中村治朗)

弁護人城下利雄の上告趣意

第一点 原判決は憲法第三七条第一項に違反するもので破棄さるべきものと思料します。

憲法第三七条第一項の保障する迅速な裁判をうける権利は、憲法の保障する基本的人権の一つであり、被告人のこの権利が害せられたと認められる異常な事態が生じた場合には免訴を言渡すべきことは既に判例の存するところである。(最高裁昭和四五年(あ)第一七〇〇号、昭和四七年一二月二〇日大法廷判決)

本件被告人は昭和二八年九月一六日起訴された。第一審判決言渡は昭和四三年五月六日であつて其の間約一五年間の歳月を経、更に原審判決は、其の後約一〇年間を要し昭和五三年七月二四日に言渡されて居る。

この二五年の間、被告人は刑事被告人の座に据えられ筆舌に尽し難い苦衷を味つてきたものであり、殊に、第一審判決(罪となるべき事実)第一記載の事実は、昭和二三年四月当時の被告の所為につき罪責を問われているものであつて、爾来三〇年を経過しているものである。

右本件の訴訟の遅延は、第一審の弁護人も指摘する通り(一五八八丁)、検察官が、杜撰な捜査に基づき被告人を起訴したことに端を発して居り、その杜撰さが其の後の訴因の一部の変更や、第一審判決における一部無罪を招来して居るものである。

第一審の訴訟進行の経過をみるに、被告人が肺結核(第六回公判)や負傷のため公判期日の変更を求めたことがあるが、「被告人が迅速な裁判をうける権利を自ら放棄したと認め」うべき事項は全く無い。他方検察官は屡々準備のための続行を求め(第一八回、第二四回、第三四回、第四一回等)、殊に昭和三二年五月三一日の第一八回公判期日においては審理の延期を求め、第一九回公判期日の開かれたのは昭和三七年六月二〇日であつて此の間満五年の年月を無為に経過して居る。そのため昭和四〇年六月三〇日の第三七回公判期日において被告人の供述調書の任意立証のため出廷した板東副検事(起訴検事)及び橋検察事務官すら、捜査当時の記憶が薄らいでいる始末であつた。一四二三丁以下)弁護人側の立証段階に入つた時期には多くの訴訟関係人が死亡したり記憶を減退乃至喪失しており、そのため捜査段階において予断を以つて作成された捜査官作成の各供述調書類が裁判官の心証形成上重きをなすに至つた。

昭和四三年九月三日に原審第一回公判期日が開かれて以降は、被告人も高齢(当時七一歳)による動脈硬化、高血圧、前立腺肥大等のため出廷出来ず、訴訟関係者も高齢化し、又多くの証人が死亡し、証人として喚問されても老人病のため出廷できなかつたり出廷できても記憶を減退、喪失して居り弁護人の立証は全く不可能な状態であつた。原審立会検察官は右状態に堪り兼ねてか、昭和四六年三月一日付「答弁書」と題する書面(一九二七丁以下)で、要旨として「関係者が何れも高齢化して居り犯行時から古きは二一年起訴時からでも一六年の時を経過し殆んど正確な記憶が無く原判決の認定を左右するものは何一つ無い」旨主張し、すみやかに控訴を棄却すべき旨主張した。然し右検察官の主張は、第一審に要した一五年の歳月が専ら原告官の立証の懈怠に基づくものであつて、そのため関係者が高齢化したことについての反省を欠き、そのことの故に弁護人の立証が難渋していることを非難し、原審が証人を採用することを牽制しようとするものであり、この審理段階で最早公正な裁判を期待することはできなくなつたといわざるを得ない。従つて原審は審理を打切り被告人に対し免訴の判決を言渡すべきであつたと考える。

其の後の原審の審理はますます空転するのみであり第一〇回公判廷(昭和五二年七月四日)に証言した検察事務官(岡田証人・一九七丁)や警察官(吉岡証人・一九八六丁)は、被告人の名前すら覚えていないか、名前は覚えていても事件内容についての記憶を喪失していた。(岡田証人によると板東副検事は一〇年前に死亡している)

刑事訴訟の構造上検察官の立証後に被告人側の反証に移らざるをえないが、検察官の立証が余りにも遅延し、被告人乃至弁護人の予定した証人等の記憶が減退乃至喪失してしまつたという異常事態が生ずるにおいては、現刑事訴訟法の基本理念である当事者対等の原則にも反することであるし、公正な立場で事案の真相を明らかにするという裁判所の職責にも影響を与えることになるし、何よりも迅速な裁判をうけるという被告人の基本的人権が侵害されたものであつて、この事態が判明した時点で被告人を刑事被告人の座から解放すべきであつたと考えます。<以下、省略>

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